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昔の団らんは、人が集まる場だけだった

昔の団らんは、人が集まる場だけだった

昔は、人が集まる場があるだけで居場所ができていた。 今の時代は、豊かになった分人が集まるだけでは、居場所にならないのでは。 小学校低学年の頃のボク。 可愛かったなと自画自賛(^^;) 自分の昔は、まあ付け足しですが・・・ 昔、リビングという概念が無かったころは、茶の間というと、台所に隣接した和室ちゃぶ台か、食卓のテーブル。 その周りには、水やがあって、食器が並んでるのが見えます。 昔の家は、皆そんなのだったのですが、まあ、それが当たり前と思ってたので、みんな、部屋のデザインにはあまり意識が、向いてなかったかと。...
「居場所のデザイン」は、心理学のデザイン

「居場所のデザイン」は、心理学のデザイン

自分がどう感じるかと、仲間がどう感じるかによって、その場の価値は変わる。 心が揺さぶられる事には、わけがあります。 例えば、あるカフェが自分の居場所であったとしましょう。 カフェのメニューが好き、美味しいとか、 カフェのテーブルや椅子が座り易くて、長く居ても疲れないとか、 カフェの空間が広くて、ゆったりとした気分になるとか、 カフェの内装が自分の好みにあって素敵だとか、 カフェの料理、内装などのカフェのサービスそのもので感じる事はもちろん ありますよね。 また、料理や内装など、モノ的な感じ方だけでなくて、...
「いばしょ力」が人生を豊かにする

「いばしょ力」が人生を豊かにする

人はひとりでは生きていけないもの。だからこそ、つながる力をつけて、自分の場所を確保する、いばしょをつくる力、「いばしょ力」が必要だ。 「いばしょ力」には、 「住まい、家庭でのいばしょ力」 「学校や職場でのいばしょ力」 「地域社会でのいばしょ力」 言ってみれば、「いばしょ力」とは、「人と繋がっていく力」なので、自分がそのようなスキルを身に付ける必要があるのだ。 昔から現在まで、そもそも「人とつながる力」は、生まれて親と生活し、学校へ行き、会社に行って仕事をし、地域社会に出て活動をしたりする中で、自然と養われていくものです。...
街をみんなの居場所にするには

街をみんなの居場所にするには

「まちにみんなのいばしょが増えたら・・」  居場所のデザインをどうするか考えてみた。 堺東にある、けやきのストリート。けやきを中心にして「木陰のデザイン」ができていた。 この石調でできたベンチ。けっこううまく出来ていて、人って、「一目見て座っても良いですよ。」というところへは、座り易いもので、休憩用には持って来いの場所だ。 「私はベンチ!」ってアピールするより、「植え込みの立上りですけど、ベンチでもどうぞ」ってアピールする方が、「さりげない役柄」っていうデザインのほうが、街のデザインにはあうのではと思います。 なぜ?...
自然を活かしたデザイン

自然を活かしたデザイン

「人工的を景観につなげる自然の緑を活用する方法」ニテコ池が なぜ風光明媚な自然景観になるのか。 皆さん、「池」と「湖」の違いって知ってますか。 実は、子どもの頃から気になってたことなんです(^^;) 池と湖は、大きさの違いだと思ってました。確かに、大きさによって名付けられてる面もあるようです。ですが、一番は「池」は人工的に作られたもの、「湖」は自然にできたもの。 この違いが、いちばんしっくりきますね。 確かに、私の住んでいる泉大津市には、昔ため池が30くらいあったらしいですが、今や、2つしかないという現状です。...