「あいまいな境界」~居場所デザインの考え方~

どちらが生命を感じますか? 

居場所のデザインは、人の感受性に依る所もあるので、理論的に絶対こうだという正解はないかもしれません。でも、概ね「美しいものを美しい」と感じる心は、9割方の人が同じように持っているのです。

 これは、パターンランゲージを作成した、アレグザンダーが語った言葉です。私も確かに、そう思います。 

写真は、ある緑化の写真ですが、「どちらが、美しい、しっくりくる」と感じますか? 通路と緑化の境がきっちりあるかないかの比較です。

私は、この境があいまいな方が、心が穏やかに感じます。また、自分の気持ちの中に自然と入ってくる感じがして、私はあいまいな方が好きです。 

きっちり分けられているほうが、すっきりしていいんだという人もいると思います。また、通路と緑地の境がはっきりしてないと、掃除や権利などがややこしいとか、人の論理的思考で、あいまいさを受け入れない場合もあるでしょう。 

ひとつ。 ここで、大切なひとつの見方としては、「緑は生きている。だからこそ、自然がそうしたいんだ」と見れるかどうかです。 緑の場合は、生きています。だから、それが通路に越境してきたら、私たちは自然と生命を感じざるを得ないのです。 

生命を感じるという事は、人の心の中に、躍動感や、生き生きとした感情を持つ心が生まれてきます。 最初は、こういうあいまいな緑化の予定でなくても、生きているものに、自然と任す部分も必要なのです。それが、生活のシーンに「生き生きとした生命」を感じさせる所以なのですね。 

では、もうひとつの写真に「居場所のデザイン」を加えて、「あいまいな境界」=「共有できる居場所」にするにはどうしたら良いでしょうか。 

答えの一つには、緑地帯の花壇の段をベンチ、腰かけにすると、人が感じる「あいまいな境界」ができます。 段で区切られていた、境界が境界なのか、共有できるところなのかという、あいまいさが生まれてきます。多分、そのベンチに座ると、背後の緑地の躍動感を感じて座っていられると思います。

この気持ちが、自分の居場所になっていくのです。 そうしていくことで、人が感じるひとつの「居場所づくり」になっていきます。

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